――ここはどこだろう。目の前に、夜の大空が広がっている。辺りを見渡して、一つの答えを見出す。ここは、駅の屋上だ。でも、何故俺はこんなところにいるのだろう。そう考えているうちに、足が意思に逆らって進み始める。下の大通りが突如として視界に入る。目の前の金網に手を掛け、やがてゆっくりと上り始める。望んでいるわけではないのに、フェンスの有刺鉄線を、掌がひとりでに握り締める。棘が刺さった部分から、血が滴り落ちてくる。心臓が高鳴るのを感じる。目を瞑る。柵の上に立ち、康裕はそのまま賑わう夜の街に飛び込んで行った。一瞬、目の前に自分自身の影が映った、そんな気がした――
 その瞬間、康裕の視界に光が差し込んでくる。ここは保健室だ。死んでいない。やはり夢を見ていたようだ。
 「今日の授業はどうする? 大分疲れてるんじゃないの?」
保健室の先生の声がする。が、別に疲れてはいないが、体は冷や汗でびしょ濡れだった。先生はニュースを見ながらお茶を飲んでいた。
 こんなに鮮明な夢を見たのは久しぶりだ。嫌な予感がした。小さい頃から、夢の中に自分が出てくることがしばしばあったが、それが良い夢であったためしが無い。
 体調が優れないので、康裕は早く家に帰してもらう事にした。が、家に着いたからといって、眠るとまた酷い夢にうなされそうで、ベッドに横になったままどうすることもできなかった。
 どのくらいそうしていたのかは分からないが、太陽が山の稜線に隠れきった頃、多紀が帰ってきた。母親の沙世が何か喋るのが聞こえ、その直後に多紀が康裕の部屋に入ってきた。
 「大丈夫!?」
 「ああ、多分。別に大した事じゃないから。」
 「本当に? 実は、ちょっと聞きたい問題があるんだけど……」
 「ああ、良いよ。ちょっと見せて。」
こうやって多紀はよく康裕に宿題を聞きに来る。康裕も受験生だから一年生の内容くらいは教えられる。
 「これは、両辺に3をかけてから移項すると割と簡単に解けるよ。」
 「なるほど。ありがとう、これで片付いた。ご飯ができたら持って来るね。」
 「あ、助かるよ。ありがとう。」
勉強もちゃんとやるし(但し、決して好きではないようだが)、家の手伝いもしっかりする。我ながら良い妹を持ったものだ、と康裕はふと思う。
 することが無くなると、本棚から小説を一冊取り出してきて、いつもの眠る時刻まで読み、多紀が持ってきてくれた野菜サラダと焼き魚を食べた。歯を磨くと、布団に横になった。それから、今まで眠れなかったのが嘘のように、康裕は深い眠りに落ちていった。