その後も胡桃は度々やって来た。その度俺と会話して帰って行く。それ以外に何をしに来るわけでもない。
　そして、俺は胡桃に色々な事を聞いた。だが、俺は名前を聞かれたのに、答えられなかった。まだ相手に心を開けないでいる。いつもの生活のせいで人に心を許せなくなってしまったのかもしれない。
　ある日の事。胡桃がいつも通りこっちに走ってくる。俺は笑って手を振る。いつの間にかずいぶんと仲良くなったものだ。今日も川のふちに座って喋った。少し雑談をした後、急にこんなことを言われた。
　「私、お父さんがいないんだ。雨の日に事故で死んだらしいんだけど。その時は何日も泣きどおしだったらしいんだ。あんまり良く覚えてないんだけどね。」
明るい横顔だったけれど、こんな話してて嬉しいはずもない。俺はどうして良いのか分からなくなった。なんで、知り合ったばかりの俺にそんな重い話をするんだろう。しばらく何を言おうか考えていると、先に胡桃が話しかけてきた。
　「……でも、私の感じた寂しさなんて、君に比べたら全然大したこと無いよね。」
その言葉を聞いて、俺はとても心が苦しかった。俺は親がいなくなった時、悲しいなんて少しも思わなかった。別に親が死んだわけじゃない。でも二度と会えない事は分かっていた。それなのに、俺は悲しみを感じなかった。
　「……お前は、親父さんにとって自慢の娘だっただろうな。」
　「どうして？」
　「俺は親がいなくなった時、100円落とした位の感情しか持ってなかった。悲しいことだけど、俺にとって親は生きるのに絶対必要な存在じゃなかった。だから、俺は親を失う悲しさを本気で味わっているお前を凄いと思う。その心を尊敬できる。お前は人を大事に想える心を持ってる。だから、親父さんはお前を誇りに思ってたはずだよ。」
と、大した事もしていない俺がカッコつける。でも、俺はその時本気でそう思っていた。そして、それは一生変わらない考えだとも思った。
　「……ありがとう。なんだか凄く嬉しいよ。やっぱり君にこの話して正解だったかも。」
　「そうだ、なんで俺なんかにそんな話を？」
それがずっと気になっていた。
　「君が凄く優しい人だって分かってたから。君なら私の経験を分かってくれるって思ったからだよ。」
なんか恥ずかしい。でも褒められることがなかった俺に、返す言葉は見つからなかった。
　「それじゃあ帰るね。あ、そういえば君の名前、まだ教えてもらってないよね。嫌ならいいんだけどね……」
俺は、この時、胡桃には自分の名前を教えておきたいと思った。
　「俺、カズアキってんだ。　……名前言うのなんて７、８年ぶりじゃないかな。」
　「カズアキ君、良い名前だね。　……あ、そうそう。私の事もお前じゃなくて胡桃って呼んでくれると嬉しいな。」
　「そうするよ。」
　「ありがと。それじゃあまたね、カズアキ君！」
　「じゃあな、胡桃。」
カズアキ。懐かしい名前だった。自分の名前なのに。
　胡桃のおかげで、俺はどうやら本当の自分を思い出せたらしい。不思議な心地だった。そして、ふと目を上げると、夕日が山に隠れかけていた。その日の夕焼けは、今までに無い程に綺麗だった。