目が覚める。部屋は、白い壁に覆われている。ふと横に目をやると、窓の外に曇り空が見えた。灰色に重たい雲が、地球を覆っていた。
 (久しぶりだな。)
懐かしいその面影を思い浮かべる。そう、彼女が事故に遭ったのは、今からちょうど一年前。病院の一室で、意識を失ったまま眠っているその人を、俺は見ていることしかできなかった。あれからもう一年が過ぎる。それでも俺は彼女を一度として忘れたことはない。ベッドから起き上がる。久しぶりに彼女に会いに行こう。俺は、家を出た。
 ドアを静かに開けてみる。小さな病室には、一人の少女が横になっていた。いつもと何も変わらない優しい顔。だが、ここにいるという事実が、その穏やかな顔を何故か悲しげに感じさせた。病室のベッドの横の椅子に座る。顔を合わせる。彼女の手をそっと握ってみる。自分の目から、涙が流れているのが分かった。同じ場所、同じ季節を一緒に過ごしてきた、何も変わらない手。小さなその手を、大切に握った。それだけで、彼女の想いを感じ、彼女に想いを届けられるような気がした。
 「あれ――」
 握ったその手に、微かに圧力を感じる。驚いて、俺は彼女の顔を見る。植物状態だった彼女の目から、俺の頬をつたっていたのと同じ涙が流れている。手が動く。人を呼ぶために立ち上がろうとしたとき、自分が引き戻されるのを感じる。振り返ると、その優しい目が少しずつ開いていく――
 「あ、りが、と、う…」
久しぶりの言葉に喉が詰まっている。気付くと二人とも、手を握り合ったまま泣いていた。
 「ほんとに、ありがとう。君と、喋ってたから、言葉も、大丈夫、みたい。あり、がと……」
泣きじゃくっているその声は、本当に可愛らしいものだった。
 「どういうことだよ。一年間ずっとここで寝っ放しだったんだぞ。どれだけ心配だったか……」
そして二人はまた口をつぐむ。視界がぼやけて周りが良く見えなかった。それでも、涙を拭うのも嫌だと思うくらい、その手を離したくなかった。
 しばらくして、いくらか落ち着いた彼女が言う。
 「昨日、あんな草原で一緒に一日過ごせたから、もう未練は残らないかなと思ったんだけど。でもやっぱり死ぬのは恐かったから……」
 そう。聞いていながらも、俺には分かっていた。今までのがただの夢じゃなかったということを。白い壁に覆われた部屋。屋根が抜けた、あの部屋。時々夢で見た場所だ。そして、昨日初めて二人がそこで出会い、それが最期の別れになるはずだった。だが、それをさせなかったのは、俺が彼女と離れることを嫌い、あの場で早く彼女を消えさせた事だった。夢から覚めた瞬間、俺はそれを悟った。結果としてそれが死に至る一歩を踏み出させなかった、ということだ。
 「なんかちょっと寂しいな。あの部屋も原っぱも、二度と行けないと思うと。」
 冗談まじりに言う。だが、どこか心の奥底の、俺が知らない所で、本当にそう思っていたのかもしれない。すると彼女は首を横に振って言う。
 「行けるよ。二人なら、いつだって――」
 俺の部屋と、この病室。二人が大事に持っていたペアのトランシーバー。一つを自分のポケットから取り出す。そして、電波を送ってみる。
 「ザザーッ――」
一瞬お互いが反応しあった後、電池が切れ、通信が途絶えた。
 机の上にある彼女のトランシーバーの隣に、自分のを置く。やっと出会えた二つのトランシーバーは、あの時の二人のように、寄り添って空を見上げていた。
 いつの間にか空は晴れ渡っている。それはあの時と同じような、綺麗な空だった――